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食育シンポジウム


 村田吉弘

 菊乃井 主人 村田吉弘(むらたよしひろ)

1956年、京都にある日本料理店「菊乃井」の長男として生まれる。立命館大学産業社会学部卒業後、名古屋の料亭「加茂免」で修業を始める。1976年、実家に戻り「菊乃井木屋町店」を開店(1989年、「露庵菊乃井」として新築開店)。1998年、モエ・シャンドン社の要請により「ドンペリと京料理」のプロモーションを仏・サラン城にて成功させる。「京料理から」(柴田書店)、「京料理の福袋」(小学館)など多数の著書を上梓するほか、テレビ「きょうの料理」(NHK)、「郁恵・井森のデリ×デリキッチン!」(フジテレビ)にレギュラー出演、京都調理師専門学校講師、京都料理芽生会の会長を務めるなど八面六臂の活躍をみせている。京都をこよなく愛し、京料理の伝統を大切にする一方で、時代のニーズに合わせてそのスタイルを自在に変容していける柔軟性も備える。同



村田さんが子どもの頃、どのような食生活でお育ちになったのでしょうか?

 A 私のおふくろは、料理が好きな人でしたから、当時ではめずらしい洋風のメニューもよく食卓にのぼりました。おふくろは、学生時代、外交官の奥さんに料理を習いに行っていたんです。おかずが1〜2品ということはありませんでしたね。いつも5〜6品、こちゃこちゃといろんな食べ物がありました。でも、毎日豪華なものを食べていたということではありませんよ。 おふくろが、子どもたちの誕生日に必ず作ってくれたのが「ガランディーヌ」。これは、中にゆで卵が入ったミートローフです。当時はオーブンなどありませんでしたから、おふくろは肉をガーゼで包んでゆがいて作っていました。それから、冬の定番は「オイスターチャウダー」。たっぷりの野菜とオイスターが入ったチャウダーで、これもルーからこしらえていましたね。このふたつは、子どもの頃、特に好きなメニューでした。 先日、ボロボロになったおふくろの「料理手帳」を見たら、タンドリーチキンやプリン、カレーのルーなどのレシピも書いてありました。 おふくろは、料理屋の女将であり、4人の子どもの母親であり、妻でしたから、なかなか大変だったと思います。そのうえ、舅も姑もいましたからね。 我が家では、子どもたちの食事の時間帯とおじいさんと親父の食事の時間帯はまったく別で、おじいさんと親父の献立は、子どもたちの献立より1〜2品多いんです。おじいさんと親父が食事するときは、おばあさんとおふくろが給仕してましたね。 おふくろは、当時、家族と住み込みで働く従業員あわせて40人分の3食の食事をこしらえていたんです。おふくろはもう80歳ですが、今でも店のまかない担当の若い子は、おふくろに次の日のまかない献立を持って、見てもらいに行くんですよ。「そんなに油ばっかり使わんどき」「これはあかんなー。これの代わりに、たまにはひじきの炊いたんにでもしたらええわ」なんて、今だに若い子たちは言われてますよ(笑)。おふくろは「私が店の子の献立見てるから、ウチの店の子たちは健康でいられるんや」と、今も思ってるんじゃないかな(笑)。「よそさんの子を預かってんのやから、一人前になるまで病気させたらあかん。栄養のバランス考えてやらんと」と考えているんです。

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ご自分のお子さんには、どのような食育をされてきましたか?

 A 特別なことは何もしていませんが、おいしいものがおいしいとわかるように、「食べ物はすべて天からのさずかりもの。我々はその生命をいただいて、生かされてるんや」ということだけは教えてきました。これが、食育の根源だと思います。  たとえば、店の庭に山蕗が出たら、子どもたちと一緒にそれを切って、子どもたちに3cmの長さに切らせます。さらに今度は、庭の木の枝を子どもたちに採ってこさせて、葉っぱをむしらせて、その木で山蕗を炊いたりしましたね。子どもにとって、自分で作ったものは特別なものになるんです。その蕗を持って、家内の実家のおばあちゃんのところへ行ったりしてましたね。子どもたちは山蕗なんか食べもしなかったのが、「この蕗より、私たちが作った蕗のほうがおいしいでー」とか言うようになるんです(笑)。  あるいは、「にんじんもごぼうもかぶも、根っこの部分を食べとるんやでー」と教えると、子どもたちは「うそやーーー!」と大変驚きます。「なら、大根も根っこか?」「山芋も根っこ食べとるんか?」「あの木の根っこも食べられるんか?」とか、だんだんそういう発想になっていくわけです。

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現在の日本の食の問題点を、どのように考えていらっしゃいますか?

 A まず、「お母さんが怠惰になった」ことと、「食材が近くにない」ことがあげられます。 現代のお母さんたちは、いろいろなことをお金ではかるようになったと思います。日本人がいろいろなことをお金ではかるようになってから、荒廃が起こるようになったのではないかと思いますね。 たとえば、昔のお母さんは何でも自分で作らなければいけなかった。料理をするときの火も自分で熾していたわけです。でも、今はスイッチひとつで何でもできてしまう。 また、米は稲が作ってくれるもので、田植えして稲を育てた人に、私たちは手間賃を払うんです。魚の鯛は、海で泳いでいるときはタダなんですよ。それを船で捕ってきた人に、手間賃を払って鯛を手に入れているわけですよ。「すべての食べ物は天から与えられたもので、私たちは生かされてるのだ。これはありがたいことなんだ」という気持ちがなくなってしまっているんです。 いつの時代も、父親は外で働き、母親は家を守っていたんです。父親が家庭を顧みないのは、実はどの時代も同じ。私のおふくろもそうですが、昔の母親は子どもたちに「お父さんは、怖くて偉い人なんだ」って思わせていました。そのぐらいでいいと思うんです。お父さんが怖くなくなってしまったのも、荒廃の原因のひとつかもしれませんね。 「食材が近くにない」というのは、たとえば、春に田植えをして、夏に稲が青々と育って、秋に稲が黄金色の頭を垂れて、それがご飯になる、という食材の成長の過程が側で見られなくなってしまったこと。昔なら「お百姓さんが一所懸命、汗水たらして作った米だから、一粒でも粗末にしたらバチがあたるでー」と言ったら、子どもたちは理解できたんです。でも、今これを子どもたちに言っても、米ができるまでを知らないから、理解できないんですよ。 それから、「賞味期限の問題」も重要です。イタリアやフランスには賞味期限なんてないんですよ。10年物のプロシュート(生ハム)や3年物のミモレット(チーズ)などが、堂々と売られているんですから。 私が子どもの頃は、それが食べられるものかどうかの判断は、どこの家庭もお母さんがしていたわけです。たとえば、食べ物の匂いを嗅いで判断したり、カビのはえた餅だって、お母さんがカビの部分を包丁で削って焼いて平気で食べていましたよね。「焼けば、大丈夫」と母親に言われて、子どもも母親が大丈夫って言えば平気で食べていたんです(笑)。 現在、自給率40%台の日本が、賞味期限切れも含めて毎日大量の食べ物を捨てているなんて、これは非常によくないことです。賞味期限が切れると食べ物を捨てるお母さんを、子どもはちゃんと見ているわけですから、子どもたちは何が悪いのかわからないわけですよ。お母さんたちや、あるいは家庭科の教育のなかで、「食べられるかどうかの基準」をきっちり教えたほうがいいと思います。今、「食材に対する尊厳や敬意」を子どもたちに教えようとしても、社会的に難しいとつくづく感じますね。

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今後、村田さんはどのような食育を実施したいと考えていらっしゃいますか?

 A まず、「調味料」のことを、きっちり教えたいですね。 先日、ある小学校で、小学1年生に食育の授業をしたとき、塩を舐めたことのある子どもは2人、酢を舐めたことのある子どもはひとりもいませんでした。そのかわり、砂糖を舐めたことのある子どもはたくさんいました。味醂が何なのかまったく知らなかったし、日本の調味料の素晴らしさは伝えていかんといけませんね。  また、魚の名前を知らない子ども、大根おろしが大根からできるってことを知らない子どももたくさんいました。今、子どもたちが、普通のことを普通にわかるようにしてあげたい、と強く思っていますね。

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菊乃井

京都・東山の山懐にあり、高台寺の緑にかこまれ、静かなたたずまいを見せている料亭『菊乃井』。 高台寺は豊臣秀吉とその正室北政所の菩提寺。北政所高台院・ねねが茶会を催した茶室があり、桃山時代の面影を今に残している。 長い歴史をもつ部屋で、いにしえの桃山びとを偲びながら、静かにいただく懐石料理は、まさに伝統につちかわれた、京料理の味の神髄と終える。 お昼時にはねね愛用の茶室”時雨亭”にちなんだ円山真葛原の山芋と海の幸を盛って茶の湯の心を表した、しぐれめし弁当がいただける。四季の感情豊かな料亭である。


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